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都に異変あり?諸侯方へ奉告之件

 「上る」「下る」「東入る」「西入る」ならば、通り名をば起点に場所を示せし、洛内部が住ひ之表示、岐路に立たさせており申す。都独自の伝統的表記なれど、電子網や車内案内機の大半、通り名、不要なり、入力されば地図検索、相成らず。電子網喧伝、名刺よりも通り名を抜きし表記増ゑ、平安以来続く地名表記に親しみし都人「通り名無かざれば、場所、いずこやわよりぬ」と戸惑ゐ候。

 「都摩訶不思議」なる書の戯作者黒田正子殿におひては、いつぞや電子網にて化粧品をば買おうものならば、都村内、己の仕官先が所在をば入力されば、受け付け相成らず、たまげ候。

 都の村内、通り名のみにてとはいえ、殆ど飛脚物、届く特有が集落也。黒田殿、御意つもの如く「中京区高倉通夷川上る」と入力し候が、商所より飛脚業者手配せし、からくり電算箱機構、対応せず、村名、番地をば改めて入力し候と申されし。黒田殿曰く、「標準化それゆえ、都文化なりける通り名や『上る、下る』、消ゑてしまう予感あり」と申されしもの也。

 元々、「上る、下る(上る、下る)」と申す洛内之住い之表示は、都独特のもの也。されば御奉行所在地は、登記簿にて「中京区寺村通御池上る上本能寺前村四八八番地」也とあり、通り名ならば村名、番地をば長々と併記するも、正当な表示なり、と申されし候。

 なれど、網が地図検索にてかをば入力されば、「不見当」や、周辺が村名、商所、表示されしのみにて地図には在らず。御奉行曰く、地図を探せしは「中京区上本能寺前村四八八番地」と入力しか相成らず、通り名無用也。

 電子網に地図を供応せし「ぜんりん」曰く、検索機構に村名也と番地を基にせし天下之標準、住ひ表示を採用致し候、件の如し。都独自が通り名及ひ領地の特定ならざれば「細目要目にて示すは、困難極りし」也。

 左様な現状に戸惑うは、都人なり。町民の土地勘しからば御奉行なれば「寺村通御池上る」のみにて拾分なり、通り名こそ、重要也。そもそも、村名、必定なりと言わざれば、村数(中京区のみにて四百九拾八村)や同名が村(洛内九箇所にある桝屋村など)、多くて覚ゑられぬと云ふ事情ありけり。

 少数の民、通り名に対応せし地図検索、柔軟も開化されしも、未だ広まらず。車載案内機も通り名は、受け付けず、飛脚番号にて住所を探す柔軟が中にも通り名抜きにて表示されし物あり。

 土地物件を集めた領地に、通り名を省ゐて公示せし村内が不動産業者曰く、「村名及ひ番地なれば、電子網にて地図をば呼び出しめん。通り名をば併記されば、地図出ず、長くなりすぎ候」と申し候。

 都日本国立博物館の広告紙、通り名「東山七条」なれど、名刺は「東山区茶屋村五百弐拾七番」とあり。電子網普及せし以降、かの動き、洛内労務所や商処にも広まりし候。

 都にて約八百年続く歌道が冷泉家御主、奥方の冷泉貴実子殿曰く「拙宅が現住ひを今出川通烏丸東入るなり、と申さば都の輩、瞬時に景色浮やび候。玄武村と申さば、籠手にも通じませぬ。電子網なれば村名、便利なれど、其れ許りならば住む輩も困り申す也。通り名を大事にせんと、切望するもの也」。

 されば、管領殿をはじめ、諸侯方、いかなるご所存なるか。

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