2人の"時代のカリスマ"が紡ぐ「卒業ソング」"私的"比較論
図に乗って、またも時節柄キャッチーなネタで"比較論"なるものを展開させていただきたく存じます。勿論、本来は卒業ネタとして別のものをアップ予定でしたが、急遽予定変更せざるを得なくなってしまいました。その理由は本文中で明かすとして、何卒お許しのほど・・・。
「尾崎豊」編
尾崎豊・・・彼の場合は、言うまでもなく正に"時代のカリスマ"に相応しい存在と言えるでしょう。尤も当時の私からすれば、自身の理解不足もあるとはいえ、失礼ながら彼のメッセージが心に響きませんでした。悪く言えば、彼に対して冷ややかな視線を送っていたのかもしれません。
なぜか?
彼の「卒業」という曲がリリースされたのは、1985年1月。いわゆる"学校でのいじめ問題"が初めて表面化した時期です。またその前後には、校内暴力も深刻な問題として取り上げられました。あからさまに弱い生徒を殴る蹴る等の暴力行為は勿論、酷い時には教師にまで暴力を振るうケースもあり、最悪の場合は卒業式等で警察が介入し、学校の周辺警備をする事もあったように思います。
賢明な方はお気づきでしょうが、尾崎豊の「卒業」には、まるでそれを肯定するような場面が描かれている、と当時の私は感じたからです。学校社会を「閉鎖的支配」、そして「卒業」を「支配から逃れ、自由を得るプロセス」だの「自分自身の内に秘めた葛藤と現実との闘いからの脱出」と捉えるなんて、考えも及びませんでしたからね。勿論、そういう時代背景があったからこそ、多くの若者が彼を崇拝し、尊敬の眼差しで見つめていたのでしょう。
そう考えると、私がこれまで送ってきた人生は「あらゆる支配」に洗脳されているのかもしれません。果たしてそれは幸なのか、不幸なのか?その答えは未だ見つかっていないように思います。「長渕剛」編
※PVフル・ヴァージョンはこちら
今日の新聞を見て、思わず驚嘆の声を挙げた方もおられたかもしれませんね。バックに合わせた派手なファッションを纏い、サングラスを少しずらしつつ、視線を送る長渕剛の姿が写し出されている本日(3月4日)リリースの新曲「卒業」の全面広告。そう、スペシャルサイトと同じ・・・急遽予定変更した理由は、このためです。
ご存知のとおり、この「卒業」という曲は彼の母校・鹿児島南高校の生徒(今年卒業を迎えた3年7組39人)にいくつかのテーマに対する想いを綴ってもらい、長渕剛自身が彼らの言葉を夜を徹して1日で紡ぎあげたものです。どういう経過で企画が持ち上がったのかは別として、彼自身の母校への恩返し、という意味合いも含まれているでしょう。更にはセールス面で語るなら、移籍第1弾に相応しい仕上がり、と言えると思います。
単純比較するのは無理がありますが、尾崎豊の曲と同様、ストレートな想いが綴られてはいる(素人ですから、当然ですがね)ものの、ヒューマニズム溢れる柔らかな印象を受けます。「支配からの脱出」から「卒業はどうして悲しいのか、辛いのか?」と変化している部分に時代の変遷を感じ取れるでしょう。
ただ恩返しならもっと早くにできたのでは、と考えてしまいがちですが、そこは年の功とでも言いますか、今の彼だからこそできた賜物ではないか、と個人的に思います。これは想像の域を超えませんが、仮に長渕剛がもっと若い頃に行っていたとすれば、今回とは違う曲が完成していたかもしれません。また尾崎豊が今も生存していると仮定した場合でも、同じ事が言えると思います。
尾崎豊と長渕剛・・・あなたの心に響いたのはどちらでしょうか?
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コメント
尾崎はズルい、って時々思うんですよ(笑)。
私は未だに「尾崎の魂」に縛られてる部分があって、だってあの衝撃はそう簡単に覆されるものじゃないから。
尾崎が「15の夜」を歌っていたころ、尾崎は学校のいわゆる「不良グループ」たちのカリスマで、私は「夜の校舎、窓ガラス叩いてまわった」なんていう気持ちがわからなかったし、戦ったり、足掻き続けたり、そんな気持ちを抱いたことがなかったから、全然、そのときはピンとこなかったんだけど、かなり後になってから、「回帰線」というアルバムを聴いて、ものすごい衝撃を受けることになって。
人生にはいろんな疑問符があって、でもその答えってないことの方がたぶん多くて、諦めだったり、我慢だったり、でもそれがわかっていても、いろいろなことを思って、その繰り返しで。
だから尾崎がもし、いま、ここにいたら、一体どんな思いを歌うのだろう、って。
でもこれって、絶対にない話で。
コメント重かったですね。
すみません。
ついつい、熱く語ってしまいました(汗)。
卒業して一体なに分かり合えただろう・・?
いまだにわからないことばかりですね(笑)。
投稿: ふろあ | 2009年3月10日 (火) 21時22分
いえいえ、ふろあ様。重いなんて、とんでもないですよ
。私と同じような想い?を抱かれている方がおられる、というだけでもレヴュった甲斐がありました。毎回、ヒューマニズムを感じさせてくださるだけでも感謝しなくてはなりません。
今の世だからこそ、尾崎豊の強烈なメッセージが必要、と考える向きもあるでしょう。勿論否定はしませんが、ならば彼が今も存命していたら、当時と同じような勢いで語れるのか?となると疑問ですね。
なぜ、そう言えるのか・・・これは何も尾崎豊だけに限った話ではありませんが、「若さ」が関連しているように思えるからです。つまり、デヴューして間もない頃は「若さ」に物を言わす勢いで突っ走れたとしても、10年、15年と経過すると共に「その時のアーティストの想い」が変化する(させられるケースもあるでしょう)のです。悪く言えば、アイドルがいつまでもアイドルとして売りにできないのと同じでは、と思います。
「卒業」に対する想いが経年変化している点も見逃せないでしょう。尾崎豊は「支配からの脱出」と綴りましたが、今の若い世代には「支配って、何の?」と受け取られるかもしれません。勿論「尾崎豊は凄い」という方も少なくはないでしょうし、「支配=国歌斉唱強制、進路変更」と考えると納得できなくもないですが、卒業した時点で「共感」というよりは寧ろ「ノスタルジック」に変わっているのではないでしょうか。ただ決して他人事ではなく、誰もがなり得る事です。
しかし、私も含め大半の方々、いや現代社会は「学校を卒業した」事で全て完結してしまいがちですが、具体的に説明を求められたら、答えに窮するでしょう。そこで初めて尾崎豊が理解できるような気がしますね。
ふろあ様のコメントにまともに答える事ができたか、不安もありますが、今回もありがとうございましたm(_ _)m 。後ほど、伺わせていただきますね。
投稿: 傷心の少年 | 2009年3月11日 (水) 09時41分